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戦後の美術活動のあり方を先導した2館の存在を 再認識することが重要です

 鎌倉鶴岡八幡宮の敷地内にある神奈川県立近代美術館(鎌倉館)は、土地の貸借契約が終わる2016年3月で閉館される方向と聞いています。同館別館と葉山館を合わせた3館の集約化が、すでに県の緊急財政対策本部で検討されているのです。契約期限が切れたあとは更新しないことも、前知事時代に決定していたとのこと。
 わが国で初めて(1951年)、公立美術館として設立された県立近美(鎌倉館)は、全国における美術館活動の先導役を担い、その後に出来た地方美術館のあり方を指し示す、大きな存在となってきました。収集した作品の質量はもとより、国内外の作家を奨励し育成した実績は、はかり知れないほど巨大だと評しても良いでしょう。
 また、坂倉準三の設計になる建物自体、20世紀を代表するモダニズム建築としての評価が高く、その保存を国際機関が呼びかけているほどです。さらに鎌倉は、「武家の古都」として世界遺産登録をめざしており、八幡宮とその周辺は文化財保護法の指定地区でもあります。国の許可なしには、何もできない事も事実。今、多くの難題でがんじがらめ状態に陥っているのです。
 もう一つの存在は、横浜市民ギャラリーです。このほど耐震性に問題がある、とのことで教育文化センターの取り壊しが急きょ決まりました。1〜3階を占めていた市民ギャラリーは、検討の結果、野毛の旧職員厚生会の建物(いせやま会館)へ移転が決まり、今年度に内装工事着手、26年秋に開館予定です。
 市民ギャラリーは、昭和39年に桜木町駅前に誕生。ここも戦後市民の美術活動に弾みをつけ若手芸術家の育成拠点として、公立ギャラリー活動のモデル的存在でした。関内駅前の教文センターに移ったのは昭和49年のこと。利便性も手伝って、多くの美術団体は競ってここを発表の場としてきたのです。野毛への再移転は、まさに意見百出。最寄駅から遠くしかも長い坂道が続くので、高齢者等への配慮を求める声さえ出る始末です。既存の建物を使うための不都合も数々指摘されています。

 神奈川県も横浜市も、やむを得ない事情があったにせよ、ここに至るまでの経過と情報の公開(説明)のしかたに問題はなかったのか。議論は十分に尽くされ、課題の解決や要望の充足は適っているのでしょうか。

at 15:07, 大滝まさお, -

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